大石順教の名言

しないことと、
できないこととは違う。

by 大石順教

阿部牧歌の「のほほんコラム」

こんにちは阿部牧歌です(*’ω’*)
今日は日本画家で真言宗山階派の尼僧
の大石順教さんの名言を取り上げさせていただきました。

両腕を失いながらも口で筆をくわえ絵を描き、
日本画家としても活躍された大石順教さんは、
「しない」と「できない」は違うという言葉を残されています。

腕がないから絵は描けないよね、
腕がないから〇〇はできないよねという正論ともとれる立場がとれるのに
大石順教さんは、それをできないとは捉えませんでした。

自身はそれを甘えと表現されておられたのですが、
「私にはできない、やれない」と言う前に本当にやってみたのか?
本当に死力を尽くしてやったのにできなかったのか?
多くの場合は、できないではなく、していないだけなのではないでしょうか。

誰にだって免罪符にできそうな材料はあります。
それを使って自分にはもとから出来ないことだったのだ
と思い込ませることは簡単でしょう。

でも、それは多くの場合、
出来ないのではなく、していないだけ。
これは厳しい言葉のように感じますが、
大石順教さんの愛がつまった言葉だと思います。

腕のない私が絵が描けるんだから、
あなたにだってなんでもできるわよ。
大石順教さんはそう伝えたかったのではないでしょうか。

腕がない、足がない、耳が聴こえない、目が見えない、
この世界にはたくさんの障がいを持った人がいます。
だけどそれをあなたの可能性を否定する材料に使ってほしくない。

もちろん、腕がないことによって出来ないことは確かにあるでしょう。
でも道はある。
五体揃っているあなたにできないことなんて本当にあるのでしょうか?
あなたにはとてつもない可能性がある。
「できない」ではなく、「してない」だけ。
このメッセージは非常に大切な教えだなと思いました。

大石順教のプロフィール

大石 順教(おおいし じゅんきょう/1888年3月14日-1968年4月21日)は、大阪市出身の元芸妓、日本画家、真言宗山階派の尼僧。本名は大石米子。芸妓として舞を精進していたが、1905年に養父が内縁の妻に対する邪推から楼内で刀を振るい、6人を殺傷。事件に巻き込まれた彼女は両腕を切断されながらも、一命をとり止める。その後、巡業先の仙台の旅館でカナリアが嘴で雛に餌をやる光景を見たことをきっかけに、口で字を書く技法を習得。1927年に身体障害者の相談を始める。1931年に大阪の高安に庵を建て尼僧を志し、婦女子のための収容施設を作り教育を行う。1933年に高野山金剛峯寺にて得度し、名を「順教」(じゅんきょう)と改める。1936年に身障者の相談所「自在会」を設立し、身体障害者の自立を支援する福祉活動に励み、1951年に塔頭寺院・佛光院を建立。1968年に心筋梗塞により佛光院で死去。

参考文献・出典:Wikipedia(URL)

主な関連書籍

  • 『無いから出来る―大石順教尼の生涯』致知出版社 (2003/8/1)
  • 『大石順教尼の世界』文化書房博文社 (1997/4/1)

大石順教の関連書籍一覧:https://amzn.to/3MnL0bZ

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