水島広子の名言 第3集

「現実と争わない」こと。
「どうしてこんなことが起こるの?」
「こんなの間違っている!」
などと争っていても、
相手は現実ですから、勝ち目はありません。

by 水島広子

『つい、「気にしすぎ」てしまう人へ: こころの荷物をそっと降ろす本』三笠書房 (2018/7/30)より

出典元書籍:https://amzn.to/3hIiarE

阿部牧歌の「のほほんコラム」

こんにちは阿部牧歌です(*’ω’*)
今日は水島広子こころの健康クリニック院長
の水島広子さんの名言を
取り上げさせていただきました。

水島広子さんの著書『つい、「気にしすぎ」てしまう人へ』
からの一文なのですが、
続けて、現実は変えられないのですから、
なんとかしなければならないのは、
「現実」ではなく、「自分の心」と語られていました。

もちろん、現実は変えられると
現実に戦いを挑む人生もあるかもしれませんが、
多くの場合、現実とはすでに起こってしまったことであり、
変えることはできないもの。

変えられないものに、やきもきしていてもしょうがないので、
現実は現実として受け止め、
現実に傷ついている自分をそれ以上、責めないことが大切と
本書では語られていました。

私はこの言葉を自分の怒りの感情に重ねてみたのですが、
怒りを覚える相手、怒りを覚えた出来事というものは
変えることができない現実です。
そこに文句を言っていたってしょうがない。

やるべきことは、ただ怒りを覚えた出来事によって
自分は傷ついたんだということに気づいてあげる。
相手を責めるのではなく、自分を労わること。
これが心の安定を保つには大事なことです。

大きく心が動くときというのは、
自分の心が大きな衝撃を受けたときです。
衝撃によってダメージを受けている。
その認識が大事です。

水島広子さんは、足の指をぶつけた時に例えておられたのですが、
足の指をぶつけたら、たいていの人は痛みがひくのを待つ。
心をぶつけたときも同じことで、
相手を責めたり、現実に文句を言ったりすることは、
ぶつけていたがっている足を振り回すようなもの。

足の指をぶつけたときと同じように、
心をぶつけたときも痛みがひくまで待てばいい。
言い換えると痛みがひくまで自分の心を労わることが大切です。

現実は変えられない。
だからこそ、現実と争わず、
現実に傷ついた心を癒してあげる。
長い人生を生きていくためには、
そんな視点が大事かなと思いました。

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