古橋廣之進(古橋広之進)のプロフィール

古橋廣之進(ふるはし ひろのしん/1928年9月16日-2009年8月2日/男性)は、「フジヤマのトビウオ」の異名で知られる水泳選手スポーツ指導者。静岡県浜名郡雄踏町出身(後の浜松市西区)。日本大学法文学部(後の法学部)政治経済学科卒業。第二次世界大戦終了後に次々と水泳の世界記録を打ち立てた人物であり、敗戦直後で多くの日本人が苦しんでいた時期に世界記録を連発し、国民的ヒーローとして愛された。現役引退後は水泳界・スポーツ界の発展に尽力し、日本オリンピック委員会会長、日本水泳連盟会長、日本オリンピアンズ協会名誉顧問、日本学生トライアスロン連合初代会長などを歴任。主な受賞歴に紫綬褒章(1983年)、文化功労者(1993年)、旭日重光章(2003年)、文化勲章(2008年)などを受章。簡略化した「古橋広之進」という表記もよく使われている。

Created February 25, 2017

主な著書

  • 『水泳:より早く泳ごう』講談社(1974年)
  • 『熱き水しぶきに:とびうおの“航跡”』東京新聞出版局(1986年)
  • 『フジヤマのトビウオ奮戦記』ベースボール・マガジン社(1986年)
  • 『古橋廣之進:力泳三十年』日本図書センター(1997年) ※「力泳三十年」改題

古橋廣之進(古橋広之進)の名言集

『ビジネスに活かす一流選手の言葉』PHP研究所より

あきらめず、へこたれず
魚になるまで、水かきがつくまで泳ぐことだ。

中略・省略

古橋廣之進さんは後輩たちに「魚になるまで泳げ」とよく言っていたそうです。- 公益財団法人 日本オリンピック委員会 Japanese Olympian Spiritsより

高森顕徹『光に向かって100の花束』1万年堂出版より

私の目標は世界一になることだった。
だから人の何倍もの練習を
苦しいとも思わなかった。

「文化勲章の受章を祝う会」で古橋廣之進さんが話された言葉です。 – 浄土真宗親鸞会 公式サイトより

未分類

旧サイトで公開していた参考文献・出典元が特定できていない分です。詳細がわかりしだい追記・分類します。

戦後で、いくら腹が減っていても
へなへなしてふらつくなんてことは
まったくありませんでね。

サツマイモ2・3本食って
ガンガン泳いでいた。
みんなはよく泳げたなと言うんです。

一日に1000カロリー以下しか
食っていないのに、信じられないと。

でも僕はそれをやっていたんだから
信じるも信じないもないよと。
精神力も栄養になるんです。

別にどうということはありません。
ただ自分は800を泳ぐときは700、
1500を泳ぐときは1300と考えて
全力で泳ぎます。

そうするとあとの100、200は
苦しさで腕が肩から抜けそうです。
このラストが記録の勝負です。

自分はラストの分秒に
捨て身の逆転を狙って賭けます。
これは意地ですね。

参考文献・出典

参考文献・出典を表示/非表示
  • ビジネス哲学研究会『ビジネスに活かす一流選手の言葉』PHP研究所(2010). Quote part.
  • 高森顕徹『光に向かって100の花束』1万年堂出版(2000). Quote part.
  • 古橋廣之進. フリー百科事典 Wikipedia. Retrieved 2016年11月8日 (火) 01:57, UTC. URL. Profile part.
  • Japanese Olympian Spirits. 日本オリンピック委員会. Retrieved February 25, 2017, JST. URL. Quote part.
  • 浄土真宗親鸞会 公式サイト・ブログ. Retrieved February 25, 2017, JST. URL. Quote part.
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