カシアス内藤の名言

どんなに有名なトレーナーがついても、
リングで闘うのは自分ひとり。

by カシアス内藤

『DO楽(どらく)』より

阿部牧歌の「のほほんコラム」

こんにちは阿部牧歌です(*’ω’*)
今日は元プロボクサーのカシアス内藤さんの名言を
取り上げさせていただきました。

上記の言葉に「殴られて痛いのも自分、
勝ってうれしいのも自分なんだから」と続くのですが、
人生においては誰しも最後は自立する必要があるという旨の言葉です。

どれだけかけがえのないパートナーや
尊敬のできるメンターがいたとしても、
人生というのは自分の足で歩まなければならない道です。

もちろん、他人のアドバイスや先人たちの知恵は借りつつも、
どの道に進むのかを最終的に決めるのは自分自身です。
なぜなら、実際に歩むのは自分であり、
その結果も責任もすべて自分で背負わなければいけないからです。

ビズリーチの社長の酒井哲也さんは、
「自分で考え・自分で選び・自分で決める覚悟が重要」と述べておられますが、
自分で進む道を選ぶことこそが、よりよい未来を作る鍵です。

自分の道は自分で選ぶ。
リングの上で戦うのは自分。
この自立心こそが生きる基礎となるのではないでしょうか。

カシアス内藤のプロフィール

カシアス内藤(カシアスないとう/1949年5月10日-)は、兵庫県生まれ、神奈川県育ちの元プロボクサーコーチ。本名は「内藤 純一」、米名は「ロバート・ウィリアムス・ジュニア」。元・東洋ミドル級チャンピオンとして知られる人物であり、ヘビー級王座で知られる「モハメド・アリ」の旧名「カシアス・クレイ」にあやかり、リングネームを「カシアス内藤」(命名:石川昭二会長)にしたとのこと。現役時には「東洋のクレイ」「和製クレイ」などと称されていた。プロデビューは1968年。デビュー翌年より、数多くの世界チャンピオンを育て上げた名トレーナー「エディ・タウンゼント」の指導を受け、無敗のまま日本ミドル級チャンピオン(1970年2月)となり、翌年の1971年1月には東洋ミドル級チャンピオンに輝く。周囲からは重量級の世界チャンピオンへの期待が高まるものの、その後の成績が思うように伸びず、1974年に引退を発表。1978年に復帰を表明し、リングに復帰するものの1979年の末に再度引退を表明する(引退後に「咽頭がん」を患っている事を公表)。2005年にボクシングジム「E&Jカシアス・ボクシングジム」を開設し、ボクシング・コーチとしての活動を行っている。

参考文献・出典:Wikipedia(URL)

主な著作

  • 『ドラマを作った男モハメド・アリ』中央公論新社 (2017/8/25)

カシアス内藤の著作一覧:https://amzn.to/3Hc9Rxo

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