ベニグノ・アキノ・ジュニアのプロフィール
“ニノイ”ベニグノ・シメオン・アキノ・ジュニア(Benigno Aquino Jr., Benigno Simeon “Ninoy” Aquino, Jr./1932年11月27日-1983年8月21日/男性)は、フィリピンの政治家、上院議員。タルラック州コンセプシオン出身。独裁体制を敷いてたフェルディナンド・マルコス大統領時代に国民から絶大な支持を集めた政治家であり、通称が「ニノイ」であったため、「ニノイ・アキノ」という呼び名で親しまれた。マニラ国際空港での暗殺事件によってこの世を去り、1983年に行われた葬儀では200万人の人々が街頭に出て棺を見送ったとされる。父はフィリピンの上院議長を務めたベニグノ・アキノ・シニア。マルコス政権は崩壊後に妻のコラソン・アキノ(コリー)がフィリピンの大統領に就任したほか、息子のベニグノ・アキノ3世も第15代フィリピン大統領を務めた。
Created March 26, 2017
主な要職
- 上院議員(1967年-1972年)
- 大統領国防省顧問(1949年-1954年)
- タルラック州知事(1961年-1967年)
- タルラック州副知事(1959年-1961年)
- コンセプシオン市長(1955年-1959年)
ベニグノ・アキノ・ジュニアの名言集
『AZ Quote』より
祖国のためになるのなら
死ぬ価値があるというものだ。意訳・要約
名誉と共に生き
あなたの良心に従ってください。意訳・要約
未分類
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たとえ、私の胸を
銃弾が貫いて生命が奪われたとしても私が降参しない限り
負けたことにはならない。要約・略