アンナ・パヴロワのプロフィール
アンナ・パヴロヴナ・パヴロワ(Anna Pavlovna Pavlova/1881年2月12日-1931年1月26日)は、20世紀初頭に活躍したロシア・サンクトペテルブルク出身のバレリーナ。9歳の頃に観た『眠れる森の美女』をきっかけにバレエダンサーを志すようになり、帝室バレエ学校で学んだ後、マリインスキー・バレエに入団。色白・細長の顔に狭い肩幅、美しい足という理想的な体型を持ったパヴロワは、貧しい家の出であったものの順調に昇進を果たし、1903年に『ジゼル』(プティパによる改訂版)で成功を収めた他、1907年に慈善公演で小品『白鳥』(M・フォーキン振付)を踊り、大きな注目を集める。後者はのちに「瀕死の白鳥」と呼ばれるようになり、パヴロワの代名詞になる。1911年に自身のバレエ団「パヴロワ・カンパニー」を創設し、イギリスを中心に世界巡演を開始。日本でも1922年(大正11年)に来日公演(全国8都市)を行っており、日本におけるバレエの定着・普及に貢献したため、エリアナ・パヴロワ、オリガ・パヴロワと共に日本バレエ界の恩人「三人のパヴロワ」の一人として数えられている。また、パヴロワの代名詞となったバレエ作品「瀕死の白鳥」は、彼女の死後、約20年間著名なバレリーナによって踊られていなかったものの、同じロシアの偉大なバレエダンサー「マイヤ・プリセツカヤ」が違う振り付けで公演を行っている。
Created April 27, 2021
主な書籍
アンナ・パヴロワの名言集
未分類
参考文献・出典元が特定できていない言葉です(旧サイトで公開していた分を含みます)。詳細がわかりしだい追記・分類します。
立ち止まることなく
一つの目的を追い求めること。これが
成功するための秘密です。抜粋・略
私にとっての成功は、
人々の称賛の中にではなく、自分の理想が実現していくという
満足感の中にある。抜粋・略
才能だけで
成功することなんてできない。才能は神が与えるけれど、
努力はその人を天才に変えてくれる。抜粋・略